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プロフィール | 田中千尋のブログ|人生を豊かにするNLP心理学

NLP潜在能力開発トレーナー田中千尋のブログです。「心」と「思考」と「行動」の新習慣を身につけ、人生を豊かにする技術や考え方をお伝えしています。

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田中千尋のブログ|人生を豊かにするNLP心理学

プロフィール


では、ストーリーは、私のOL時代から始まります。

■やる気のないOL時代から・・・

私は、三重県の中でも津市大里という里山の麓で生まれ
木登りや探検ごっこなど自然の中で遊ぶのが大好きな子供で
のびのびと自由に天真爛漫に育ちました。

そんな子供の頃からの記憶でしょうか、
オフィスでのルーチンワークは、私にとって「安定的」というより
「変化のないつまらない毎日」でした。

OLの頃の私は、オフィスの中で事務業務をこなす毎日。
お天気の良い日に、太陽の下に出られない環境が本当に苦痛でした。
私が経営者だったら、当時の私を絶対採用しませんね(笑)

そんな環境が、当時の私にとっては
「自分の意志で自由にできない制限」のように感じていました。

そんなある日のこと、
ひょんなことで突然ラジオのリポーターになることになりました。

■思い立ったらすぐ行動!「一週間でアナウンサーになった」

「自分は、いったい何がしたいんだろう?」と
悶々と時間が過ぎていた、そんなある日のことです。
叔母の一言が、私の人生に変化を起こしました。

「あんたの声は、よう透る声やなぁ。ええ声やわ」

その何気ない叔母の一言。

「そうなんだぁ。私の声って特徴があるのかな」

そう思ったとたん、
これまで色々な方に声のことについて褒められた事が
走馬灯のように蘇ってきました。

それと、当時、主人との結婚を考えていて
結婚後の自分の仕事についても色々と考えていました。

いくつかの要因がピピピっと瞬間的につながり
「私は、司会者になる!」と急に思い立ちました。

思い立ったら即行動。
その日のうちに地元の話し方講座を探し、
その日の夜参加。

講座が終わっての帰り際、
講師の方が私に声をかけました。

「来週、FM三重のオーディションがあるから受けてみない?
どうせ落ちるけど、良い経験になるから」

オーディションは、一週間後でしたが、
人生経験♪と気楽にトライしてみました。

多くのアナウンサーが緊張している中、
私は、どうせ落ちる思い、緊張もせずに
元気に楽しんで話しました。

そして、なんと奇跡的に合格。
当時は、気づいていませんでしたが
この時既に「成功のストラテジー」を実践していたようです。
(詳しくは、ブログで紹介していきますね)

そして私にとっては、このオーディションが
最初で最後のオーディションとなりました。

私がこれまで番組への出演した回数は
テレビ・ラジオ合わせると3,000回を超えると思いますが、
いつも番組は、指名をいただきお引き受けしていたので、
デビュー後は、オーディションを受けた事がありません。

デビューの時のオーディションは、
私にとって、最初で最後の貴重な経験です☆

■アナウンサーには、なったものの・・・ヤバい!

しかし!
勢いでオーディションには受かったものの
プロの道はそう甘くない!!

実は、当時の私は
アナウンサーとしてとても重要なスキルが
身に付いていませんでした。

それは「分かりやすく話す」ということ!
なんて致命的!
アナウンサーなのに話すのが苦手だなんて!

今だから白状しますが
実は、私、昔から話すのは上手ではありませんでした。

子供の頃から、親にもよく言われたのは
「話が飛ぶから、言いたい事がよくわからない」でした。

OL時代も先輩にもよく注意されました。
「あなたは、何が言いたいのか分かりません。
話す事を一度頭で考えてから話してください」

そんな私が、
アナウンサーになってしまったのでした。

デビュー当時、よく思いました。
「きっと、私は全国のアナウンサーの中で一番下手に違いない」と。
事実、そうだったと今でも思います。

とはいえ、仕事はプロとして責任を果たさなければならず
でも、教えてもらえる機会も人もおらず
無我夢中で上手く話せる方法を模索しながら
仕事をこなしていました。

■学びたいけど、お金がない!
~貧乏生活の巻き~

デビュー当時、
私は婚約をしていて、
結婚とデビューがほぼ同時期。
その1年半後には出産を経験しました。

学びにいきたいけれど、
新人リポーターの収入は、一ヶ月2~3万円。
子供の保育料が、1ヶ月5万円以上。

家賃や食費や生活費のほか、
仕事にかかる交通費、衣装代は、全て自分持ち。
ですから家計は、大赤字でした。

主人は、理解がある人でしたし
応援してくれました。
しかし、彼も入社して間もない時期でしたので
収入もフレッシュな金額でした(笑)

こんなこともありました。
お給料まで、あと5日という、ある日。
財布の中には、500円。

りんごが食べたかったけれど、
りんごは100円。悩んだ末に、我慢。

そのあと偶然友達に会い
「たこ焼き食べよう」と誘われ、
断りきれず350円を使ってしまい後悔(涙)

そんな経験のお陰か
節約上手な主婦力は身に付きましたね。

独身時代は、わりと裕福な生活をしていた私でしたが
人間お金がないと知恵がでるものです。

キッチンの陽のあたるところに、
野菜のヘタを水耕栽培のように水につけて並べ
育ってきたらみそ汁の具として入れるとか(笑)

肉は、細切れしか買わない。
固まりが食べたくなったら、
小麦粉で張り合わせカツにするとか。

安いイワシにもおせわになりました。
イワシのつみれに、イワシハンバーグ、
イワシの蒲焼き、イワシの・・・etc

「今夜の食費は、合計150円!」
なんて節約自慢したりして。
「すご〜い!」「美味しいね」と楽しんだり(笑)

とにかく、仕事もプライベートも
これまで体験した事がない未知の世界へ
入ってしまったような感覚で、無我夢中でした。

子供を寝かしつけてから、
夜中に再び仕事場に出かけ、朝まで番組を制作し、
家に戻り朝ご飯を作る、保育園へ送っていく
なんてことを繰り返していました。

■レギュラー番組も増えたものの・・・独立することに

毎日々リポーターとして取材に出かけ、
マイクを持って話す、この繰り返しでした。
あっという間に、5年ほど経っていました。

徐々に番組は、増えながらも
ある時、所属事務所の方針に違和感を感じ
事務所から離れることにしました。

業界では、
独立する時に元の仕事を持ち越す事はあまりなく
事務所の独立とともに仕事も無くなり
タレント生命が終わる事はよくあります。

私は、自分ではアナウンサーに向いているとも思えず
他のアナウンサーの人に比べても地味な気がしていました。

もうこの仕事は辞めてもいいや・・・

そんな気持ちもあり、
独立後の仕事の見通しも考えず独立しました。

■もうやめようと思ったそんな時・・・

独立した時、
元の事務所の仕事は全て手放すつもりでした。
お世話になった事務所にも申し訳ない気がしました。

そんな当時、イベントの司会をしていたときのことです。
ステージから沢山のお客様の笑顔が目に飛び込んで来て
こんな声が聞こえました。

「さすがプロやなぁ~上手に話すなぁ」

(えっ?私のこと?上手い?)

「田中千尋さんですよね!ファンなんです!
いつもラジオ聞いていますよ。サインしてもらえますか!」

(えっ?私のサイン?・・で、いいの?)

彼は、自分が着ているTシャツにサインしてくれと言い
私は、サインは初めてだったので自分の名前を
まるで「署名」のようなサインをしました。

私のサインを欲しがる人がいるんだ・・・

いつの間にか自分の存在を知ってくれている人が
増えている事に気がつきました。

そして、イベントが終了した時、
主催者の方々が「今回、初めてイベントを企画しました。
大成功です。田中さんのお陰です。ありがとう、ありがとう」
と何度も言って下さいました。

もちろん、私の力ではありませんが
役に立てた喜びを強く感じ、やりがいを覚えました。

いつの間にか、人に喜んでもらえる
プロの仕事ができるようになっていたのかもしれない・・・
そう思いました。

この時の経験がなければ、私は仕事を続けていなかったかも
しれません。

結局、独立後も
お世話になっていた各クライアントの方から、
そのまま続けて欲しいと言っていただき
一つの仕事も終わる事なく継続させていただけました。

「私は、この仕事には向いていないな、もうやめよう」
と思っていた矢先でしたので、
認められている自分が本当に信じられませんでした。

独立したこの年の出会いや喜びは
今でも忘れられない私の大切な宝物です。

■言葉で人を動かす・・・

さて、独立してから、
御陰さまで仕事が増え続け
多忙な毎日を送っていました。

仕事はとても楽しくて、多忙ながら充実していました。
三重県中をリポートカーで取材にでかけ
時には、県外にも取材に出かけました。

もちろん、お天気の日にも
外に自由に出かけられましたし(笑)
色々は方々と会い、色々な世界観を伺いました。

私のラジオ番組は、パブリシティ番組が多く
放送後、取材先にお客様がたくさん詰め掛けるような
番組に仕上げることを求められました。

3分ほどの放送にぎゅっと情報を濃縮し放送し
音声だけで人の心を掴まなければなりません。

しかし、取材先の方は、
一般の方で話慣れていない方も多く
緊張してインタビューどころではないケースもよくあります。

当時、取材先に訪問してから
オンエアーや収録までの時間は
約1時間ほど。

その間に、必要な情報を引き出し、
情報を素早く端的に3分に
まとめないといけません。

特に、生放送の場合は、時間は待ってくれません。

しかもリスナーが思わず耳をそばだてたくなる
魅力的なストーリーにする必要があります。

私は、いつの間にか、
音声だけで、人を動かす
表現方法を自然に身につけました。

言葉×音声表現×価値ある話題の方程式です。

このアイデアは、自分で言うのもなんですが
本当に役に立ち効果的です。

今、現在私が行っている即効的に変化が起こる
一風変わったオリジナル「話し方・プレゼン」トレーニングは
この当時の経験から編み出したものです。

当時の経験からヒントを得たものと
実践心理学NLPと掛け合わせたトレーニングですが
プレゼンなどの表現力が即効的に高まります

また、リポーターのお仕事では
話し方だけでなくコミュニケーションについての
効果的な方法も身につけていました。

・初めての方と短時間で信頼関係を築く方法
・緊張している方を短時間でリラックスさせる方法
・話を上手く引き出す方法
・人が聞きたくなる魅力的な話題としてまとめる方法

あるクライアント様から言われた言葉は
「提供番組を持つのは安くはないけれど十分元はとれたわ。
田中さんが担当で良かった。本当にありがとう」

この頃の私は、レギュラー番組を
5本同時に持てるようになっていました。

■日本一下手なアナウンサーだった私が話し方の講師に!

さて、アナウンスの仕事を
何とかこなせるようになってきた頃
「話し方を教えてほしい」と声がかかるようになりました。

私は、内心「とんでもない!
話し方なんてきちんと習っていないし、
私が教えてもらいたいくらいだわ」
と思っていましたから、丁重にお断りしました。

しかし、断っても断っても
どうしても引き受けて欲しいと頼まれて
結局、講師をやる事になってしまいました。

私の場合、いつもデビューは突然やってきます(笑)

■講師という仕事をやってみると・・・

やばい!どうしよう!
話し方なんて、どうやって教えればいいの~!

私は、慌てて東京のNHKの話し方講座に参加しました。
そこで、学んだことは大変役に立ち
今でもこの考え方は私のベースになっています。

ただ、学んで驚いたのは、
「これって、私が考えたことと同じだ・・・」

実は、いくつか教えてもらったものの中に
自分で考えた方法と同じものがありました。

正直、このような基本があるのであれば
最初から学んで入れよかった、
そうすればこんなに長年苦労しなかったのにと
がっかりしました。

でも、無我夢中でアナウンスの仕事をこなす中で
上手くなる方法を自分で身につけていたわけですから
講師をやるうえでは、大変自信につながりました。

しかも、体系づけられた型を手に入れた私は
とてもパワフルでした。

話し方講師としても無事デビューし、
予想以上に受講生の方にも喜んでいただきました。
わざわざ遠くからも参加してくださり
とても貴重な体験をさせていただきました。

ラジオの番組も、レギュラー番組が増え
出演だけでなく番組制作も担当しました。

他のDJが話す放送原稿を書くようになり
いつの間にか、テレビからも
声がかかるようになっていました。

そんな中「マナー講師をやってみない?」
と声をかけて頂きました。

私がマナー講師なんで・・・
と躊躇している間もなく引き受ける事になってしまい
これまた、2~3週間でマナー講師デビュー。
アナウンサー、司会者、講師
プロスタッフ教育、経営者・・・

何足もの草鞋をはきながら
とにかく、毎日走り続けているような、
そんな日々でした。

でも、今振り返ると、この期間は、
今の私を支える大事な期間だっと思います。

自分が出来る事を
他者も出来るようにするための他者変革のコツ
とツボを人材育成の中で会得しました。

また、人が成功するためのパターンを
知らず知らず身に付けた時期でもありました。

私はよく人から「運が良いいね」と言われます。
自分なりには色々と辛い事もあるのですが・・・
でも、確かにツイていると思います。

昔は、なぜそうなるのか分かりませんでした。
今は、ある法則があることに気がついています。

NLPや交流分析など色々なことを学んで
自分が成功してきたポイントを理解しました。

現在も、研修講師育成やセラピーにも役立てていますが
当時の私は、ただただ無我夢中で突っ走っていました。

■心理学に興味を持った本当の理由

現在、私は実践心理学NLPのトレーナーとして
米国NLP協会認定のセミナーなども開催しています。

人の成功パターンや思考パターンなどをひも解き
プレゼンなどにも効果的に応用しています。

単にスキルトレーニングを行うより
心理的アプローチ×スキルトレーニングは
本当に効果的な変化をもたらします。

私の人生の中で、話す事と心理学との出会いは
人生を変えた重要な要素です。
学んで本当に良かったと思っています。

ただ、私が心理学に興味を持ったきっかけは
仕事のために学ぼうと前向きな気持ちというよりは
藁にもすがるような切羽詰まった心境からでした。

仕事とプライベートの狭間で心理的にバランスを
崩してしまったことが大きな要因なんです。

話はさかのぼりますが、デビュー当時、
私は婚約をしていて、結婚とデビューがほぼ同時期。
その1年半後には出産を経験しました。

出産後、まだ幼い子供を保育園に預け
仕事に出かけていました。

保育園で「いってらっしゃい」と
小さな手を振る娘の姿は目に焼き付いています。

お迎えがいつも一番最後になってしまい
職員室で先生と一緒に私を待っていた姿を思い出すと
今でも涙が出てきます。

当時、周囲の人からも女性が仕事をすることについては、
批判的な意見を色々言われたことも何度かありました。

それとは別に、
業界ならではの独特の世界観もありました。

特に女性から
理不尽ともいえる攻撃を受ける事が様々あり
当時は、女性恐怖症に近かったかもしれません。

出勤して、ラジオ局に近づくと心臓がバクバク。

脇に汗が流れてくるし、
身体は固くなるし頭は真っ白。
毎日大変でした(笑)

人間関係なども色々とあり、
皆に好かれようとしているうちに
自分の意見が言えなくなりました。

皆で出かけるランチの時間、
自分が食べたいメニューの希望さえ
言えなくなっていました。

また、嫁ぎ先との家風の違いもあり
若かった私は、順応するのに大変苦労しました。
主人とも分かり合えない時期もあり
泣きながら一人夜空を見上げる日々が続きました。

当時、美容室に出かけると
円形脱毛症がいくつか見つかることも度々あり
「また出来ちゃった?(笑)」なんて
私も慣れっこになっていました。

この頃から心のよりどころを本に求めるようになり
特に心理学に興味を持つようになりました。
心理学関連の本を読んでは自分で心の状態を整えていました。

私には理解しにくい他者の行動などについて
詳しくその主な原因が書かれていました。
まるで私の日常が本に書いてあるかのように思えました。

そんな中で、
私はTA(交流分析)やゲシュタルト療法などの
心理療法に答えを求めセミナーを受講し学びました。

私が最初に学んだのは、
日本の産業界にTAを広めた
社会産業教育研究所の故岡野嘉宏先生です。

先生は、当時、TAとゲシュタルト療法を掛け合わせ
深いレベルで人に変化を起こすプログラムを
教授していらっしゃいました。

当時、同じ受講生としてともに学んだ方々は、
現在では、著名なカウンセラーや講師の方々となり
活躍していらっしゃいます。

先生で学んだ事がきっかけで
癒しで他者変革を起こす事にも興味を持ちました。

自然治癒力を急速に高める各種ヒーリング法や、
心理療法の基礎となっているといわれる
催眠療法についても基礎から実践まで本格的に学びました。

私がNLPを学んで短期間で
深いレベルでNLPの構造体系が理解できたのも
先生のところで深く学んだ背景があるからだと思います。

私は、これまで学んだ心理療法とNLPとを融合させ
「思考、行動、感情」など、どの人格適応タイプにも
変革が起こるオリジナルトレーニング、セッションを
研究開発しています。

とても貴重な機会をいただき
深い学びを提供して下さった岡野先生には、
心から本当に感謝しています。

岡野先生は、2007年にお亡くなりになりましたが
先生が蒔いて下さった種を、私なりに美しく花咲かせ
これからも多くの方の力になりたいと思っています。

■私を元気にしてくれたもの・・・

心理学は、私に「生き方」と「自分は何者か」
を教えてくれました。

また、仕事で関わるお客様の笑顔は、
私に「心の栄養」を与えて下さいます。

他に、当時の私を励まし
元気にしてくれたのは、娘の佑香の存在です。

仕事は楽しくも凹むことも多く、
その度に、娘の佑香が励ましてくれました。
これまで、色んなことを
一緒に乗り越えてきた気がします。

下記は、当時3~4歳の頃
私が泣いたり、しょんぼりしたりしていた時
娘が私を励ましてくれた言葉です。


(私が泣いているのを見て・・・)

「お母さん、佑香も保育園で先生に叱られても
元気モリモリ頑張っとるんやから。

お母さんも、お仕事のおじちゃんに叱られても
元気モリモリ頑張りな」

 

「お母さん、心のお花がしぼんどるよ。
心のお花は、いつもキレイに咲かしとかなあかんよ」

「心のアルバムには、楽しい写真だけを残しときな」

どちらが、親かわかりません(笑)

仕事と子育てを両立するべく
踏ん張っていた当時の私の手帳を見てみましたら、
下記のような自分が自分を励ます言葉がたくさん
記述されていました。

「この人わかっていないなぁ、と思う人の数は
自分のおごりを教えてくれる人の数。

嫌いな人の数は、
自分の器の小ささを教えてくれる人の数。

苦手な人の数は、
自分の変えたい部分を教えてくれる人の数。

相手への不快な想いは、もらさずチェック。
気づきのチャンス  byちひろ」

 

「自分と違うものを
どれだけ柔軟に受け入れられるか。
そこに、心の成長がある」

 

「私の人生、
自分を信じ、自分で選んで、自分で前進しよう!
自分らしくあれ!おもいっきり生きるぞ~!!」

 

 

「TO ちひろ

明るく、元気で、さわやかに、素直で、正直で、謙虚であれ。

人にも、自分にも、嘘はつかず、
何事にも感謝の気持ちを持って接する事。

そして・・・
楽しむ事も忘れずにね・・・♪  From ちひろ」

 

「良い事をして、誰にも気づかれなくても、宇宙貯金になる」

 

今読むと、当時の自分が愛しく思えます。

■ある日突然、仕事がなくなった・・・

ラジオやテレビの仕事、結婚式やイベントの司会、
話し方やマナーの講師と何足かの草鞋を履いていた私。

自分を売り込む営業をした事はありませんでしたが
御陰さまで仕事の結果が営業になっていたらしく
お仕事が途切れる事はありませんでした。

独立してから仕事が増える一方で、
物理的な時間がなくなり睡眠時間を削り
仕事をこなす日々でした。

人が休んでいる時期も忙しい業種ですから
お正月もお盆も関係なく働きました。

休みは、気がついたら何年もとれずにいました。
そんなあるとき、ある事件が起こったのです。

デビューの時から頑張って続けてきた
ラジオのレギュラー番組引き受けていた5〜6本が
急に、一日で全て無くなりました。

2002年10月、デビューして10年の出来事でした。

原因は、仕事の善し悪しの問題ではなく
何の予告もなく突然訪れた意地悪な訪問者のような
出来事でした。

なので、放送局も応援してくれていたものの
どうしても私がレギュラー番組を続けることは
できなくなり、放送局との関係は良いままでしたが
ラジオの番組は全て翌日から突然終えました。

リスナーに最後の挨拶もできずに黙って
番組を降りねばならずとても寂しかったです。
娘に寂しい思いをさせながら続けてきたのに・・・
親にも無理を言いながら仕事を続けてきたのに・・・
今まで一生懸命、頑張ってきたのに・・・
こんな形で全てなくなるなんて・・・
そんな思いもこみ上げてきましたが
ただ、正直そのビックリするような一見ネガティブな現象は
自分で引き寄せたな、と思いました。
今でこそ「引き寄せの法則」という考え方もありますよね。

私の場合は昔から、
兄の影響で精神的な学びをしていたせいか
「全のことには意味がある」と考える
思考の癖がありました。

私は、自分に質問しました。

「この一見ネガティブな現象は、
私に何を知らせてくれているのか?」

「この奥には、一体どんなプレゼントが隠されているのか?」

「私は、この出来事から何を学ばなければならないのか?」

そう質問すると答えは、すぐそこにありました。

■引き寄せの法則・・・・?!
順調ながら多忙を極めていた私が、当時望んでいた事・・・

・仕事の環境を変えてリフレッシュしたい
・お芝居がしてみたい
・海外に留学がしたい
・プロデューサーに自分の仕事を認められたい
・DJ仲間に「お疲れさま」と言われたい
・来週から引き受ける結婚式場の司会の仕事に集中したい
etc ・・・

休みも何年も取れておらず
このまま、どうなっちゃうんだろうと思いながら
このような願望を持っていたことに気がつきました。

他に、娘との時間も持ちたい、海外に留学もしたい、
お芝居もやってみたい。
でも、仕事を辞める勇気もないし・・・

そんな中、この事件が起こったのです。
実は、上記の願望はこの事件で全て手に入りました。

実は、私は、アナウンサーには珍しく
番組プロデュースと番組パーソナリティ、
番組制作など一人で多くのことを担当していました。

取材から、取材素材の編集、ナレーションの吹き込み
ON AIR番組の完全パッケージをデータ搬入するのが
私の仕事でした。

それらを、同時に何番組か担当していましたが
あまり局内では目立つ事も無く
黙々と一人で仕事を完了させていたんです。

帯番組のレギュラーのような花形では無かったので
番組が終わってもあまり気づかれないような
存在だと思っていました。

それが、あまりに突然の出来事でやめることになり
対外的には、ひっそり終わりましたが
社内的には、大々的に終わりました!

生放送が最後の番組でしたが
ON AIR終了後、スタジオから出ると
DJの仲間や、番組スタッフの皆が私の為に列をなして
アーチを作ってくれていました。

「お疲れさま」「お疲れさま」と言って
お花のレイをかけてくれました。
とても感激したのを覚えています。

10年間コツコツと仕事をしてきた
私のささやかな願いが叶いました。

また、その番組終了の一週間後から
ある結婚式場がオープンする事になっており
実は、その新規立ち上げを一手に引き受けており
かなりの本数を引き受けることになっていました。

番組が全て終わっていたので
その新規の仕事に集中して打ち込む事ができました。

結果的には、収入は以前の倍以上になり
1ヶ月で100万を超える事も珍しくなくなりました。

時間の余裕もできたので、お芝居にもチャレンジ♪
公演舞台を5ステージこなしました。

娘と一緒の時間を持つ為に
2ヶ月ほど、二人でイギリスに親子留学もしました。
起こった現象の中から
自分が得た部分に意味を持たせると
「意地悪な訪問者」は「価値あるプレゼント」を
運んでくれた大切な訪問者に印象が変わりました。

数ヶ月で自分の願いが全て実現したことに気がつきました。
それと同時に、私は自分のあるビリーフにも気づきました。

人は時折、良いと思う考え方を
知らず知らず自分の中に刷り込み、
取り込んでいくことがあります。

周囲の人から私はよく言われたのが
「苦労知らず」です。

天真爛漫で色々なことを明るく実現していく私に
周りはよくこういいました。

そして私は、深い部分で
「苦労しないといけない」と一人前の人間には慣れない
そう強く思ったんです。

願望を実現させる時の
無意識のパターンがあることに
気がつきました。

今は、潜在意識と顕在意識の特性や使い方を
講師として皆さんにお伝えしていますので
その仕組みを理解しています。

そして、このように強く思う事が
人生のストーリーにどのように影響を与えるのか、
またどのように自分の自己実現能力に
影響を与えてしまうも理解しています。

ただ、当時の私はまだ知りませんでした。

今、思うとNLPの考え方の中にある
一見、ネガティブに見える現象も「全てに意図がある」という
そのことを、当時身を持って体験したことになります。

■海外から戻ったら…

イギリス留学から戻った私に
ある知り合いの広告代理店の社長が声をかけてくれました。

「誰か、新人でラジオで話せそうな子いない?」

そう言われて、
お芝居で一緒に公演をしたメンバーの一人がふと浮かび
早速、そのメンバーに会って頂きました。

結果、新番組で翌月からタレントとして
起用して頂く事になり
私は、急ぎタレント事務所を立ち上げなくては
ならなくなりました。

私の人生は、いつも突然に
予期せぬ形で色々なことが実現していくようです(笑)

■スタッフ教育の中で学んだこと

2003年の10月に、タレント事務所を立ち上げました。
私自身も、テレビ番組、司会、講師と現役で表に立ちながら
タレント育成を行い、同時に経営を行っていくことになりました。

あの事件後、
タレント事務所の代表という思わぬ形で
ラジオ局にも再び出入りする事になりました。

また、私自身も時間の経過とともに
番組復帰が可能になりラジオの仕事も始めました。

いつの間にか、スタッフも
一人、また一人と増えていきました。
HPをみて尋ねてきてくれたり、
素敵なメンバーが集ってくれました。

今もスタッフとして在籍してくれているメンバー、
そして、卒業したメンバーも含め
私は、本当に良いスタッフに恵まれていると思います。

弊社の信用を得られたのは
彼女達スタッフが頑張ってくれたお陰です。

そして、私は、素人の女性達をプロとして育て
アナウンサーとして輩出する過程で多くのことを学びました。

「人を育てる事は、自分を育てる事」だと実感しています。

時には、スタッフのミスで、
何度もお詫びのため頭も下げてきました。
始末書の書き方も上手になりました(笑)

また、スタッフの家族の方から
理不尽なことで罵倒されたことも度々あります。
お仕事を出しているのに悪者扱いを受けたり、
とても悔しくて何度も大声で泣いたこともありました。

ただ、全て意味があることだと思い
問題から目を背ける事なく向き合ってきました。

そのプロセスで、
人間心理を学ぶ多くの気づきがありました。

この経験は、
講師として人を育てる重要なベースになっています。

また、地方の小さなタレント事務所ですので
キャパ以上の仕事を急にご依頼頂く事もあり
短期間に素人をプロ化することも何度かありました。

NLPについては、事務所を立ち上げたころに
学びだしていましたのでレッスンに応用していました。
とても効果的で弊社のタレントデビュー率は100%でした。

そんなプロセスで気がついたのは、
同じようにスキルトレーニングをしても
すぐに身につくスタッフと、
そうでないスタッフがいる事でした。

また、スタッフがミスを起こすタイミングとその頻度には
固有のパターンがあることにも気がつきました。

その人の人生の古いパターンが
本人の能力を制限していることが多くありました。

私達は、子供の頃からの体験により
ある人生の脚本が作られます。
その脚本は、本人が意識的には望んでいなくても
根源的な記憶として深い部分に焼き付けられています。

その焼き付けられたプログラムは、
過去は有効だったとしても、大人になった今となっては、
有効でないプログラムの場合が多くあります。

にもかかわらず、アップデートされないまま
大人になってもそのプログラムのパターンを再現し続け
今の問題を引き起こしていることがよくありました。

その場合は、ただスキルトレーニングを行うだけでは
あまり効果的ではなく、メンタルブロックなどを解除して
解き放ってあげると、みるみる即効的に変化が起こります。

スタッフ達には、
問題に良い変化を起こすため
NLP を活用したオリジナルのトレーニングを行い
効果を確認し試す機会を与えてもらいました。

ユニークな使い方を色々と試してみました。
例えば、披露宴の音響の仕事で、
必要以上に緊張しすぎるスタッフがいましたが
彼女には、心を安定させて集中できる暗示を試してみました。

彼女曰く「本番で、以前のようには緊張せず
普通にできました。不思議!」と驚いていました。

普通のトレーニングなら、
何度も何度も曲を出す練習をしたりしますが、
彼女の場合は、そのトレーニングが十分できているにも関わらず
緊張していたので暗示など色々と行いました。

もともとNLPは、効果的に人に変化を起こすセラピスト達を
分析して体系づけられた学問ですから、
心理学を学んでいた私にはとても使いやすいものでした。

スタッフのミスによるクレーム対応など
大変な思いも沢山しましたが
お金では買えないような
自分自身の成長がありました。

出逢った、全てのスタッフに感謝しています。

■NLPを学んで・・・人に変化を起こす事が得意になった

NLPは、2005年から学び始めました。
私にとって、NLPは、新たな世界に気づかせてくれる
とても楽しい学びでした。

人の思考や潜在意識など、
私達が普段気づくことがない部分についても
学ぶわけですから発見の連続でした。

私は、NLPが楽しくて学んでくると
すぐにスタッフに教えたり、
一緒にワークを試したりしました。

そんな中で、2005年の12月は、不思議な月でした。

NLPの基本コースである
プラクティショナーコースを学び終えたのが12月10日 。
その翌日から、私は、スタッフ以外の方から
セラピーや相談をして欲しいと言われるようになりました。

不思議なくらい、
毎日々、私を尋ねてオフィスに来客がありました。
何気なく、久しぶりに先輩が立ち寄って、
ふいに悩みを話し始めたり・・・

HPを見て私に会いたくなったと
知らない方が尋ねてきたり・・・

多い時は、一日に7人もお話をお聞きしてセラピーや
トレーニングをしていました。

これまで学んだTAやゲシュタルト療法という心理療法も
NLPを仲立ちにするとさらたに変化が起こしやすくなっていました。

変化が起こると、とても良かったと人に話して下さり
またその方から次の方がいらっしゃるという連鎖でした。

今でも不思議に思いますが、
2005年は、12月30日まで毎日そんな状態が続きました。

特にお金を頂いていたわけではなく無料で行っていましたが
約3週間で20人以上セッションを行いました。
あの経験で一気にセラピー能力が向上したと思います。

■学び始めて1年あまり・・・で、NLPトレーナーになった

NLPの有効性を実感した私は、
NLPプラクティショナーコースから
さらに上級コースのNLPマスタープラクティショナーコース
へと進みました。

そして、そのまま一気にトレーナーコースまで
受講する事にしました。

創設者の
リチャード・バンドラー博士の
トレーニングをアメリカで受けるか、
日本に来日するクリスティーナホール博士の
トレーニングを受けるか迷いました。

ただ、業界の評判としてクリス博士のトレーナー要件は
きちんとしていて厳しいことを聞きました。

受講するだけで楽にトレーナーに認定されるより、
今の私には理論の裏付けも必要だと思い、
クリスのトレーニングを受ける事にしました。

結果は、大正解!!
素晴しいセミナーでした。

最初は、難しくてよく分かりませんでしたが
頭で理解できなくても腹で分かるような、積上るような・・・
とにかくこれまで受けた事がないタイプの学びの連続でした。

私は、ぜひこの内容を再現できるようになりたいと思い
結局、トレーナーコースは、これまで4回受講しました。

4回も受講生として学んだのは、
おそらく日本では私だけだと思いますが、
世界的にも、私くらいかもしれません(笑)

御陰で、だいたいの構造が読み解けるようになり
自分でも使えるようになりました。

私のセミナーを受けて下さった受講者の方に

「千尋先生の言葉は、
すぅ〜と入ってきて分かりやすいし、
腹落ち感がほかの先生と違う」

と言っていただくことも多いですが
クリスから学んだトレーニングの構造化の手法と
クリス博士の愛情が私の中に根付いているからだと思います。

クリス博士のセミナーは、とても温かく、
芸術的に構造化された素晴しいセミナーで、
日本ではあまり類を見ないトレーニング手法です。

そんなクリス博士のトレーニングの初回を
受講して間もない頃、NLPを教えてもらえないかとの
ご依頼をある方から急にいただきました。

まだ、NLPのコースをトレーナーとして
再受講もしておらず突然で驚きましたが、
願ってもないチャンスだったので
お引き受けする事にしました。

そして、NLPのトレーナーとして
名古屋と東京でトレーニングすることになりました。

思ってもいない形で、思った通りに夢が叶う・・・

この頃、自分の成功のパターンが明確になってきました。

■二階堂忠春という人との出会い・・・

さて、そんな中、
トレーナーズ・トレーニングの2回目の受講で出逢ったのが
共著者であり現在のビジネスパートナーの二階堂忠春さんです。

二階堂さんの最初の印象は
「ダサいけど・・・目立つ人。
飄々としているけど・・・鋭い人」
というあまり私の出会った事がないタイプの人でした(笑)

彼とは、トレーナー仲間として情報交換をするなか
研修コンテンツのアドバイザーとしてご依頼をいただき
いくつかの教育コンテンツを共同で開発しました。

二階堂さんと接する機会も増えてきた頃
私は、彼に対して思っていることがありました。

二階堂さんは、
とても優秀な人だしリソースフルな人なので、
もっと表に出るような人になれば
多くの人に良い影響をあたえるのに・・・

どうすれば、彼がもっと脚光を浴びるだろう・・・?
そう、考えるようになりました。

そんな時、二階堂さんが最近人から本を出版する事を
勧められるんだよ、話してくれました。

彼が本を書くのならどんな内容が良いのだろうと
アイデアを巡らしていた、そんな時、
自宅でふとテレビをつけたら
オバマ大統領の就任演説が目に入りました。

オバマ大統領の・・・スピーチ・・・・・
これだ!!

オバマ大統領のスピーチを分析して
誰もが、そのノウハウを身につけられるように
なったらいいじゃない!そうだ、そうだ!
同時に、本の構成も浮かびました。
主要な内容構成は、大きく3部構成。

一つは、何故、オバマ氏がスピーチという1対多の人に
大きな影響を引き起こしたのかを分析する部分。

二つ目に、 実践心理学NLPを通しての理解。

三つ目に、読者が自分のスピーチやプレゼンの現場に
落とし込めるように記入式のワークシートをつける。

このアイデアを、早速、二階堂さんに伝えました。
彼もアイデアに共感してくれました。

そして、彼はこう言いました。
「あのさ、君ちょっとそのイメージを一部書いてくれない?」

私は、ワクワクしていましたので
オバマスピーチの部分を分析し、一部イメージとして
文章に起こしました。

すると彼は、
「いいね、いいねぇ〜。いいよ、これ。これでいこう!」

私は「は? 何言ってるの、この人?」

「君も一緒に書こう、共著でいこう」

「は?、私が?ぶるぶる、無理無理!!」

そう思ってダメだと伝えても、
彼は意に介さず、いつの間にか出版社の方と
私も会うことになりました。

旬の話題に関する出版ということで
話はトントン拍子に進み、あれよあれよと言う間に
出版の日程が決まりました。

5月末には、本が店頭に並ぶ・・・

え〜!!今、3月だよ〜!
初めての執筆だよ!
マジでーーー!!

と心の中では大声で叫んでいましたが
誰の耳にも聞こえなかったらしく
話は一気に進みました。

オバマ大統領の就任演説が、2009年2月。
出版企画が3月に立ち上がり、
5月の末には発売と決まりました。

たった二ヶ月で書き上げるの〜?
ひえぇ〜!!
しかも3、4月は新人研修も多いのにどうやって〜!

私が戸惑うことも誰も意に介さないまま話は進み、
とにかく出版する事になりました。

私の場合、次へのステージは
いつも突然、思ってもいなかった方法でやってきます。

■戦略的話術秘話

とにかくタイトなスケジュールの中
本の執筆が始まりました。

お互い年間の中でも研修で多忙になる時期なので
スケジュールの調整が難しく、二階堂さんと私は
ほとんど顔を合わせないまま本の執筆が進みました。

効率的に執筆が進むように
それぞれ、得意分野を担当しを担当を明確に分けました。

私が、オバマ大統領のスピーチを分析し本文を執筆、
二階堂さんがNLP解説&ワークシート作成を担当しました。

ほとんどぶっつけで、お互い書いた章を
メールでやり取りし合わせていく作業でした。

ただ、人の潜在力は凄いもので、
やれば出来るものです。

まるで誰かが乗り移ったように
言葉がおりてきてどんどん書き進めました。

また、オバマ氏のスピーチを目にしたとき
主要な部分が、まるでマーキングしたように
浮き立って見えました。

そして、NLPのスキルに置き換えて
どんどん分析しました。

自分が何故理解できるのかさえ分からないまま
それを考える時間もないまま
とにかく書き進めました。

結局、執筆時間をトータルすると
二週間くらいで書き上げました。

出来上がったのが
「聞き手を熱狂させる!戦略的話術
〜オバマに学ぶNLPプレゼンテーション〜」

大統領選でのオバマスピーチが、
なぜあのように多くの人の心を動かしたのかを
日本で初めてNLPで分析し、
その秘密を解き明かす内容としてまとまりました。

その話術を一般の方にも使えるように
ワークシートをつけ実用的にまとめました。

拙著のテレビCMが全国に流れることにもなり
初めての出版は、大掛かりなものとなりました。

出版社の方には本当にお世話になり
時間がない中、私達の意を酌み取って下さる努力を
重ねて下さいました。

廣済堂出版の方には、心から感謝しています。

本の内容はDVDでもご紹介しておりまして
現在も全国のTSUTAYAでレンタルされています。

■本を出版したら・・・突然専門家になった。

本を出版してからメディアや講演の依頼が増えました。

ブランディングする上で、
最初、出版する本はとても重要だと聞いた事がありますが
それは事実だと実感しています。

正直、私の場合は、
セルフブランディングイメージを決定する間もなく
思ってもいない形で出版する事になりましたが(^^;

本の影響もあり、
これまで、メディアから依頼を受けたのは
スピーチやコミュニケーションに関する分析です。

総理大臣の就任演説や各国大統領スピーチ
についてなど政治関係も多かったです。

つい先日は、北朝鮮の金正恩第一書記の就任演説について
テレビ朝日に出演しコメントしました。

余談ですが、私はカメラ慣れしているので
収録自体は緊張したりという問題はありません。

ですが、ゲスト出演していた美輪明宏さんが
私の分析についてコメントしていたことが
なんだか超ドキドキしました(笑)

ということで、
本を出版してからコミュニケーションの専門家と
いわれるようになりました。

特に、私の場合は政治家のスピーチや
プレゼンスに関連する解説が多くなりました。

実際、私は選挙などの関わりから
政治家の方々にもお知り合いが多いので
話しやすい話題でもあります。

このように、いつの間にか私は
効果的なコミュニケーターや成功者と言われる人達が
無意識的に行っている極意を分析し、
その秘密をノウハウ化すること、

そして誰もが「できるようになる」ことが
得意になりました。

またトレーニング内容も
アナウンサー、研修講師、心理療法家と、
どの業界でも、あまり類のない特殊なユニークな
トレーニングが行えるようになりました。

■今後のビジョンについて

現在は、東京にもオフィスがあり
東京を中心に活動しています。

東京では、NLPやTAなどの心理学をベースにした
社員研修や個人の方へオープンセミナーを開催しています。

また、デジタルハリウッド大学院の客員教授として
プロデュース能力開発演習Ⅲ
~クリエイティブ プレゼンテーション~
を担当しています。

本講義では、実践心理学NLPの知識を
プレゼンテーションに応用しています。

聴衆を引き付ける言葉の使い方や
自己の状態管理法など実践中心の
トレーニングを行っています。

また、今後、弊社では
新しいセミナーを開催していきます。

研修講師を目指す方や、
プロコーチ、セラピストを目指す方
コミュニケーション力を向上させたい方を
サポートしていきます。

研修講師としてのスキルトレーニングだけでなく
人の脳の特性や記憶の仕方
人のパーソナリティが形成される
心理プロセスなど専門的な内容をお伝えします。

ロジカルに言葉で伝えるだけでなく、
心と思考の両方に深く伝わる方法をお伝えしていきます。

人の認知や言語パターン、モチベーションの引き出し方
など人に意識変容を起こすために必要な知識と、
プレゼンでの実践法です。

また、ご本人が自覚できていない
潜在化している能力を引き出し、
即効的に変化が起こる能力開発トレーニングを
行うのも特徴です。

例えば、ボイストレーニングなども、
通常のスキルトレーニングでは、
何ヶ月も通わないと変化が感じにくいものです。

ですが、オリジナルトレーニングでは、
その方のメンタルブロックを解除したり、
使えていない身体機能やイメージを活性化させたりするので、
1時間もすれば声の変化を実感していただけます。

「これが私の声?嘘みたい!!」

と、喜んで頂けると本当に嬉しいです。

これまで素人をプロのアナウンサーとして育て
デビューさせてきた実践的ノウハウと
人に変容を起こす心理学NLPのノウハウを統合させた、
これまでにない効果的なオリジナルプログラムです。

このような、特殊なトレーニングができるようになった
私の経歴は下記の通りです。

その経験から得たノウハウは、
このブログにコツコツと書いていきますね。

講師として成功していくための脳の使い方や
思考、行動パターン設計をスキル化したものです。

ご興味のあるところをお読みいただければ嬉しいです。

一人一人が自分の人生を価値あるものとして感じ
豊かな人生を生きていくために
研修講師として良い波動を多くの方に広めていく

そんな使命を持った沢山の方と出会い
一緒に仕事ができることを楽しみに
ブログを書き進めようと思っています。

私の思いは、
人として生まれてきた自分の能力や可能性を最大限に発揮し
人生を全うして生きる方を沢山増やしたい。

その為には、自分一人の力だけでなく
多くの同志と力を合わせ、より多くの方に
良い影響を広げたいと思います。

人として生まれてきたこの命を
本来の自分の魂の素晴しい輝きを煌めかせて
思い存分、自分自身を生きていく人を増やしたい。

そんな思いに共感して下さり
その一つの方法として、プロを目指す方に
お会いできるのを楽しみにしております。

 

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